まゆみの日記

本当の私の記録

身近で起きた親子間の悲劇

この話は以前も書いたかな。

私の人生にとって大きなトラウマの中の一つの話です。

 

もし、私が悲劇が起こる前に戻れるとしたら、私はどんな力をつけて、何をやれば良いのかいつも考えています。

 

 

私が双極性障害を発症して人生転落してから出会った友達がいます。

 

今も数年に一度会っています。

 

友達は複雑な環境で育ち、20歳になっても平仮名すらまともに書けず、中学生の頃から水商売をしていました。

 

父親は物心つく前に蒸発し、病弱な母親と父親違いの大勢の兄弟がいます。

 

友達の母親の性格(性質)は私とよく似ていました。

私と同じだとしたら強い境界性パーソナリティ障害を持っているということです。

 

友達が子どもの頃から、障害のある子(友達の弟)を連れて何度も自殺未遂(心中)を繰り返して騒ぎを起こしていたと聞いています。

 

友達は母親が性風俗店で働いて自分達を養っていたことを知っており、友達は性風俗の仕事も誇らしい仕事だと理解がありました。

 

私と友達が出会った頃は、何らかの福祉支援を受けていたようです。

支援が打ち切られないように一定の収入がある友達を家から追い出した時でした。

 

 

もし、私が経営の勉強を始めて成功哲学や心理学、心理療法などを身につけなければ、友達の母親のような人生を送ったと思います。

 

だから、他人と思えないのです。

 

大変な状況で、必死に子育てをされ立派な母親だと感じています。

 

この母親を心が弱い人間だと言った人がいましたが、私は絶対にそれはないと根拠を持って断言できます。

 

 

友達はそんな家庭環境で育ったので、やはり精神状態に大きな問題がありました。

真面目な人でしたが精神のもろさから仕事(会社経営)も失敗ばかりでした。

 

うつ状態のようになりやすく、人間関係も下手でした。(今思い出せば)

 

友達の仕事に対して「人としてダメだ」という評価を下す人もいました。

確かにその通りなのですが、そうなってしまったルーツを知ってる私からしたら、複雑な想いがありました。

 

当時、私や友達の周りには良くない人達(詳細を書くのは避けます)が沢山いました。むしろ、そういう人しかいない状況。

 

そんな中で、失敗を繰り返しながらも世の中のために仕事をする姿は今もはっきり覚えています。

グダグダなんだけど、とにかく真面目で正直で一生懸命なのです。(それだけ仕事が成立するほど世の中は甘くないですよね)

 

 

そんな生活の中、悲劇は起こりました。

 

ここに行き着くまでにいくつかエピソードはあるのですが、この話には関係ないかもしれないので割愛します。

 

私は友達の家に居候していたので、色んな状況を知っていました。

 

 

友達の母親は病弱な上に、大勢の子供を抱えていつもお金に困っていたようです。

なので、友達にお金を貸してくれと常々言っていました。

 

友達は友達で仕事に失敗して収入もおぼつかず、たまに収入が多く入るとお酒に消え(現実逃避と友達は言っていた)、母親に貸せるお金はあまりありません。

母親にお金を貸せたとしても期日にお金は帰ってこず、友達も困窮する有様でした。

 

友達は母親以外にも親戚にもお金を貸していたと思います。親戚は不良ばかりだとよく言っていました。

 

 

とにかく、一生懸命生きているのに、歯車がおかしくて何をやっても悪い方向へ行ってしまう家族に思えました。

 

そんな矢先、バカだった私が友達の経営資金にお金を貸してしまったばかりに、友達の羽振りが良くなってしまいました。

 

経営を知らない人に経営のためのお金を貸しても良い結果にはなりません。

 

もし、私が昔に戻れるなら、絶対にお金は貸しません。

何らかの援助をするとしたら、勉強できる機会を与えると思います。

 

しかし、私は大きな過ちを犯して、ただ、お金を貸してしまったのです。

 

 

で、経営を知らない友達は私が貸したお金もあり、新たな事業を始め、その直後に親子喧嘩になりました。

 

友達にいつも通り母親が「お金を貸して」と言いに来た時、友達は感情的になってしまい、直接的にこの世からいなくなることを望む言葉を使いました。(ここには書きません)

 

その翌日、母親が自殺を遂げてしまいました。

 

友達から「お母さんが死んじゃった」と電話が来た時のことを今でもはっきりと覚えています。

感情のない声でした。

友達はその時の記憶が無いそうです。

 

 

友達が母親のことが大好きだということは、本人からも聞いていました。

亡くなる少し前に母親の誕生日を祝った時の写真も見せてもらいました。

 

 

友達は母親が命を経つきっかけを自分自身が作ってしまったと、今も悔いています。

 

しかし、母親が自殺した本当の理由はわかりません。

 

 

私は友達にお金を貸したことが、負の連鎖の大きな要因になったと強く悔やみました。

 

お金を貸してすぐのことだったからです。

 

お金を貸すことで友達の仕事がうまくいき、良い結果になると思っていたのです。

今となれば、当時の友達の行動パターンではそんなことは起こりえないと言い切れます。

 

 

私が必死に経営を勉強したのも、必死に心理学を勉強したのも、この時のことがあったからです。

 

無知な自分を許せませんでした。

 

誰も私のせいだとは思わないかもしれませんが、私には、私のせいにしか思えないのです。

 

私はどう行動すれば良かったのか、どうすれば友達と母親を救えたのか真剣に考え続けました。

 

経営を学び、実践し、お金とは何か、幸せとは何か、過去の過ちは何が問題だったのか答えを探し求めました。

 

その答えも徐々に見つかっていきました。

今となっては当たり前の考え方や知識も、昔の私には想像もつかなかったようなことばかりです。

 

結果的に自分自身の精神障害やパーソナリティ障害、健康状態を大きく改善することにもつながりました。

 

 

母親を亡くした友達も努力して、地道に仕事を続け、後々に学校で勉強して難しい資格を取得し、悪友ではなく学校で良い友達もできたようです。

 

私に対してはお金を貸してくれたことを常に感謝してくれています。

だからこそ、1円ずつで良いから返済する努力をさせることが私の役割です。(15年以上経って1円も返ってきてない!)

欲しいのはお金ではなく、友達が成長していく姿です。今の私はお金には困ってないし。

 

 

日本にはこういった複雑な家庭が普通にあり、本人達の力だけではどうにもならない状況が多々あるのです。

 

不幸な環境(不幸と言って良いと思う)を変えるには、自らの力で這い上がらなければなりません。

 

這い上がるキッカケは誰かから与えられるとしても、どう行動するかは自分次第なのです。

 

誰に相談するか、助けを求めるかどうかも自分自身で決めることです。

 

 

友達の母親が、もし、適切な治療を受けることができたら結果は違ったかもしれません。

パーソナリティ障害は自覚し、治したいと思えば治せます。

精神障害も適切な医療を受ければ改善します。(適切でなければ改善しないか悪化する)

 

しかし、場合によっては多くのお金がかかります。

 

友達の母親のように経済的に困窮している場合、治療に結びつく情報を得ても治療に結びつかないかもしれません。

自由診療や、やや高額なセラピーに非常に効果の高いものがあったりします。

 

お金が無ければ「仕方ない」で済ませて良いとは思えません。

 

お金がある人はより良く学ぶ機会を得られ、より健康になることができます。

お金が無ければ選択肢は限られます。

 

貧困の悪循環は深刻な問題を引き起こすのです。

貧困とはお金だけでなく、精神の貧困も含まれます。本人達だけの問題ではないのです。

 

友達のように家庭環境のせいで学校にもあまり行けず、更に精神状態も悪いと、どれだけ真面目に働いても経済的に不利になりやすい場合もあります。

それでも諦めず、腐らずに頑張って仕事をしている人も沢山います。

 

友達が10代の頃に作った会社は、もう創業20年近くになりました。凄いことです。あまり儲かってないとしても!

 

 

日本には福祉では救えない状況が沢山あります。

 

その極一部の問題がたまに表に出てくるだけで、その闇は物凄く深く、常識や綺麗事は全く通用しません。

 

 

幸せとは簡単だけど、簡単じゃありません。

 

人の心の奥底には本人も気付かない複雑な感情が沢山眠っていて、幸せになろうとすると潜在意識が足を引っ張り続ける場合も多々あります。

 

幼い頃に受けた親からの暴言や、先生や友達からの理不尽な言葉など、何歳になっても自分自身の行動の決め手になってしまっている場合があるのです。

 

 

私は今でも自分自身の心の闇に引きずりこまれそうになる時があります。パーソナリティ障害も改善していますが克服はしていません。

 

だからこそ、平穏無事に生きてきた夫や、前向きに生きる友達を大切にしています。

 

私のような危うい人間こそ、付き合う人間は特に大事です。

 

母親を自殺で失ってしまった友達にとって、私が良い友達になれるように努力してきたつもりです。

この努力は一生続きます。