いじめていることに気づかない人、いじめられていることに気づかない人
教師のいじめ問題を見ていて、ふと思い出した。
私が心理学を勉強した時の仲間には、自分自身や他人の感情に鈍感な人も何人かいました。私も含め。
そういった問題の影響で、意思の疎通がうまくいかず、苦しんでいる人は少なくありません。
類は友を呼ぶので、私の知人にも多いです。
私は小学生の頃、親の都合で2年ごとに転校していました。転校先でうまくやっていくのは年々難しくなり、最後の小学校ではいじめられました。
しかし、いじめられているのか、遊んでくれているのかよく分かんないんですよね。笑
心は悲鳴を上げているのです。でも、わからないのです。
他にも転校先で、あれはいじめられていたのかなぁ…、と思うエピソードはいくつかあります。
他人の悪意は表面的に気づかなくても、いつの間にか心に深い傷を負っているものです。
ある友人は、子供の頃、同級生をいじめていました。
その友人は遊んでるつもりで、同級生は喜んでいると本気で思っていたそうです。
友人に悪意は全くありません。他人の感情を読み取る力がとても弱いだけで、他人と仲良くなりたいと心から願い、心理学などの勉強を一緒にしました。
その友人は仕事でも人間関係に不自由し、苦労しながらも一生懸命、社会の中で生きています。
今でも空気を読まなさすぎる不快な発言をしていますが、笑、友人の特性を知っている仲間達は嫌がることもなく対応しています。
初対面の人はビックリするかもしれない…。
教師のいじめ問題の当事者達のことは私はニュースで見た内容しか分からないので、なんとも言えません。
世の中には色んな特性の人がいて、本当に相手が喜んでいると勘違いしていじめてしまう人がいます。
そういう人は教師になってはいけません。絶対に。
教育とは心を育むことも含まれます。
他人の心が見えない人は、心を破壊しかねません。
実際に破壊して大問題になっています。
しかし、そういった問題のある人も、他の人と同じただの人間です。大切な存在です。
しっかりと罪を償い、その人に適した環境で生きていってもらいたいです。(どんな人なのか知らないけど…笑)
私は自分自身の感情にもかなり鈍感でしたが、他人の感情も適切に感じ取る力が弱かったです。
たぶん、嫌がっているのに無理強いしたこともあったはずです。申し訳ない。
嫌がっている時に少し笑いが入る人っていますよね。おもしろいとか楽しいといった笑いではありません。しかし、過去の私のような鈍感な人間は楽しんでいると勘違いします。
嫌だと強く言えるタイプの方もいれば、そうではない人もいるのです。
過去の私のようにコミュニケーション能力が低いと、トラブルは起きがちです…
心理学を学ぶ過程で、人の心というものを深く学び、やっと、感情というものを理解しました。
どれだけ心理学を学んでも、相手の感情は相手にしか分かりません。
コミュニケーションが一番大切になります。
自分自身の気持ち、他人の気持ち、どちらも大切。感情を無理矢理 押し付けてもいけないし、自分の心を押し殺すのもよくない。
と、いうことを私は子どもの頃に知りたかった。笑
教師という仕事は本当に大変だと現役教師から聞いています。でも、子どもも仕事も好きだから使命感を持ってがんばっておられるのです。
子どもたちのためにも、教師のためにも、より良い教育現場になっていって欲しい…と、願わずにはいられません。