まゆみの日記

本当の私の記録

今日は投票の日

今日は投票の日ですね。

私は午後から夫と近くの小学校へ投票へ行きます。

 

私なりに社会がこうなれば良いのに…というイメージがあり、それに近い政党に投票する予定です。

最後の最後までどこに投票するか悩んでいます。

 

 

今は多くの人が生きづらい世の中です。

 

特に私のような障がい者は、周りの健常者次第で人生が大きく変わってしまいます。自力でできないことが多いからです。

 

今は夫や周りの人達のおかげで自分のやりたいことに挑戦でき、健康上できないことは手助けしてもらいながら、できる範囲で社会に参加させてもらっており、何の不満もない生活を送っています。

 

 

しかし、過去の私が経験してきた世界はとんでもない社会でした。

 

その世界を見て見ぬ振りができないのです。

 

どうしてそういう世界が存在するのか、その世界の人たちは自分の置かれている状況から抜け出したいと言いつつ、私は抜け出した人を1人しか見たことがありません。

その1人は自分自身です。

たぶん、当時からかなり年月が経つので抜け出した人も沢山いるでしょう。

 

直接的に何もできないにしろ、ほっておいて良いものではありません。

 

 

大人も精神的に自立できず、歪んだ目で社会を見て、他人を信頼できず、私利私欲で生きています。お金に精神を支配されています。

どう考えても良い結果にはならない生き方です。

 

 

その社会の人達の多くは反社会的な人達と繋がりがあります。

なぜか繋がってしまうのです。

 

その人自身、家族、友達の中の誰かが反社会的な人と繋がっており、それが普通なのです。

 

大切に思っていた友達も、どうにもならなくなって距離を置かざるを得なくなりました。

友達は根は真面目で優しいのにどんどん悪い方向へ行って手がつけられなくなってしまいました。家庭環境が複雑なのも影響があったでしょう。

 

周りを見たら良くない薬がいつも身近に存在していました。

赤ちゃんの前で良くない薬を使う若い両親もいました。その間、赤ちゃんは放置で汚い部屋を1人でうろちょろしていました。

今の私なら、通報するでしょう。

 

過去の私のような精神的自立ができていない人間は、他人に簡単に利用されてしまいます。

犯罪に巻き込まれることも日常的茶飯事です。

 

犯罪を犯罪だという感覚がありません。罪悪感に勝る自己正当化で、他人を人間だと思っていません。

仲間同士でさえ、人として尊重しません。

 

薄っぺらい人間関係で、簡単に崩壊します。

 

 

今も何年かに一度会う友達がいます。

親や親戚が反社会的な人たちで、それを嫌って道徳的に生きていこうと努力し続けている友達です。

実の兄弟のめんどうを見るために実家を離れることができず、いつも何かに巻き込まれています。

それでも努力をし続けているので、私も応援し続けています。

応援と言っても話を聞くだけですが。

 

 

親に搾取されてる若い女の子も何人も見てきました。その多くが自傷行為があり、精神疾患を抱えていました。飲み屋でよく出会いました。

 

そういった世界では、違法行為は日常的です。それが普通で、通報しようという発想は誰にもありません。

 

 

その世界から抜け出すには精神的な自立が必要不可欠です。

私は今も精神的に自立できてるとは言い難いのですが、社会の底辺から抜け出すために並々ならぬ努力を重ねてきました。だから、今の夫と出会ったのだと思います。

 

社会の底辺では、発達障害の程度や精神疾患、知的障害などがあれば状況はかなり複雑です。

 

 

今の私が生きている世界では、私が過去に経験したようなことは絶対にありえません。

皆、発想にすらありません。

世の中の犯罪や悲惨な状況はテレビの中だけだと思っています。

 

しかし、見えてないだけで確かに存在するのです。

 

今の私の生きてる世界と、過去の私が生きてきた世界は決して交わることはありません。

 

一緒に過ごすことがあっても、見えている世界が全く違うのです。

 

 

社会の中の格差は、人の命の重みすら違うように感じます。

結局は本人達の問題ですが、解決のためのキッカケは外からつくる必要があるように思います。

 

私も外からキッカケを与えてもらいました。

 

 

状況をよく知ってる私には何かを変える責任があると思っています。

 

私にとって投票とは社会を動かすための大切な行動です。

障がい者の私にもできることです。

そして、私自身の社会生活もより良くなればと願っています。