まゆみの日記

本当の私の記録

助けて欲しいと言えない人

私の経験に基づくゆるい話です。

 

私は病気で働けず、お金も底をついてるのに、助けて欲しいと誰にも言えなかった人です。

 

長年、病気と診断されまともに働いたことも無いのに(仕事については過去記事)、努力した結果、家賃滞納どころか食べるものも手に入らないのに、福祉にも友達にも助けを求められないのです。

 

相談さえすれば、確実に助けてもらえたでしょう。

 

今、生き延びて平和に暮らしいているのが奇跡に思います。

 

 

私のように、本当に助けが必要なのに助けて欲しいと言えない人はたくさんいるでしょう。

 

私の場合は病気が原因の経済的困窮ですが、子育てや介護で行き詰まる場合も自力でどうにもならないという意味では同じようなことに思います。

 

 

私が助けを求められなかった理由の全ては自覚できていません。

 

機能不全家庭で育ち、愛着障害など様々な精神障害を持っていたことは大きな原因に違いありません。

 

自分自身にかなり無関心で他人を基準に生きています。基準となる他人も歪んだ目で見ています。

 

社会を敵とみなし、助けを求めたところで相手にしてもらえないという気持ちも強くありました。

人間にとって一番最初の人間関係である親子関係が破綻していたことが全ての引き金の一つになっています。(親子関係が破綻してたからといって必ずしも私のようにはならない。)

 

私は体調の悪い時は精神状態も悪化します。

妄想も強くなり生きるための正しい判断もできません。

感覚もマヒし、死を恐れなくなります。

 

いわゆる、セルフネグレクトです。

 

 

昔の私は思っていることを言語化するのが難しいので、それを汲み取ってくれる人としか意思の疎通はできません。

 

 

私は外見で精神に問題があるようには見えません。私のように普通の人だと思われているけど内面に困難を抱えて大きな問題が起こっている人もいるのです。

 

何年か前、精神障害者の自助会に一度だけ参加したのですが、皆、どこから見ても普通の人で、オシャレをした可愛い女性もいました。私から見ても普通に生きている人に見えてしまうのです。

 

 

今の私でも、一人暮らしをして体調が悪化したら過去と同じ状況になる可能性もあります。

 

自己管理ができるので対処できますが、一人きりで身動きが取れなくなったらどうなるか分かりません。

昔のように孤立無援かもしれません。

 

 

今の私が、過去の私に助かる方法を教えるとしたら、生活保護を頼ることを最初にすすめるでしょう。

 

極度の経済的不安は精神状態も悪化させるし、食事が取れないことで肉体面も悪化します。

治るものも治りません。

 

福祉とつながりを持つことは大切に思います。

(福祉は万能ではなく、福祉でもどうにもならない人もいるが)

 

福祉は自分から助けて欲しいと言わないと助けてくれません。

 

それなのに、どんな福祉制度があるのか分かりづらく、手続き方法も病気の人には難しすぎます。  

本当に助けが必要な人こそ、自力でどうにもならなくなっているのに。

 

健常者が健常者のために作った社会だから、そうなっているのです。

 

最低限の生活と健全な精神が保たれてこそ、治療にも専念でき、社会復帰の可能性も出てきます。

 

 

社会はどうすればいいのか。

私としてはもっとお節介な人がいて良いように思います。

 

私は過去の経験上、お節介になってしまったのですが、頼んでもいないのに善意で首を突っ込んでくる人が最近いなくなった気がします。

住んでる地域がそうなのかもしれませんが…。

 

怒られたら謝ればいいじゃないですか。

見て見ぬ振りをして誰かの命がなくなるより、勝手に首を突っ込んで嫌われるくらいの方が良いと思っています。

 

適切な専門家に繋がりさえすれば、すんなり解決することもあるのに、繋がれない人を助けられるのは近所の人や職場の人しかいません。

 

相手を想った行動の結果、相手から拒絶されることは、たいした問題ではない。

拒絶を恐れる人があまりにも多い。

 

人間関係の希薄さや見て見ぬ振りが、助からない人を増やしているように思います。

 

 

助けてもらう側は、助けようとしてくれている人を信じる努力が必要です。

私はこれが難しかったです。

 

落っこちようとしてる私の手を握ってくれている人がいるのに、自分から手を振りほどいて真っ逆さまに落ちていってしまいます。

 

本人が「助かりたい」と強く思わない限り、助からない。

 

 

結局のところ、助かるかどうかは本人次第です。

助けて欲しいという意思を見せない限り、周りは何もできない部分が多い。

 

 

だからといって、自己責任だと放置する社会はかなりおかしいと感じています。

 

「助けて欲しい」と言えるようになる環境、コミュニケーション、そういったものがないのです。

 

何をどう伝えたら助けてもらえるのかイメージがつかない人もいます。

状況を適切に伝える能力が足りない人もいます。

助けを求めることで迷惑をかけないか…とか強く悩む人もいます。

誰にも解決できないと諦めている人もいます。

弱みに付け込まれるのではないかと恐れる人もいます。

 

 

それを汲み取ってあげられる人がどれだけいるのでしょうか。

 

 

助けてもらうことは恥ずかしいことでも、迷惑でもなんでもありません。

人間は本能的に他人を助けることが好きです。

私なんか助けてくれと言われたらテンションが上がります。頼ってくれたことが嬉しいのです。

 

 

そして、助けてもらうことで、世の中の見え方が大きく変わる人もいます。

 

私が初めて福祉に頼ったのは夫と出会ってからです。

福祉に頼ることで社会との繋がりを初めて感じられる機会となりました。

 

30歳を超えて、やっと社会の一員としての意識が芽生えはじめました。

助けてもらうことは、社会のためにもなります。

 

助けてもらった人の多くは恩を忘れません。

どんな形であれ、恩を返そうと考えます。

 

感謝の言葉一つでも、相手の心を温かくします。

 

だから、自力ではどうにもならない状況で生きるのに困っているなら、絶対に助けてもらわなくてはなりません。

 

 

私は助けが必要なのに自力で生き延びてきた結果、今、心身共にボロボロで治療も進みが悪いです。

そのかわり、普通の人が経験しないことを経験でき、辛く苦しい中で生きてきた強い誇りを持っています。

しかし、助けてもらってからの方が精神的自立が進み、大きく成長しました。

 

助けてもらうという形で社会の一員になれたことは、私にとって幸いだったのです。