病人と宗教
私個人の経験によるゆるい話です。
どこかの一般人のたわごとだと思ってお読みください。
私は今の日本人に多い、無宗教に見える仏教徒です。先祖代々、日本で多数派の某宗教です。
冠婚葬祭などになると、急に宗教の話が入ってきてとまどうタイプです。
夫の母は、新興宗教の熱心な信者で、夫は生まれた時からその宗教です。
夫の父親は私と同じ宗教ですので、姑と姑の親族の一部のみが新興宗教のようです。
私と夫にとって、宗教の違いを認め合うことは結婚の最低限の条件です。
と言っても、夫も無宗教にしか見えない生き方をしていますので、宗教が絡む行事の時しか宗教の違いを感じません。
宗教熱心な姑ですが、私に宗教の直接的な勧誘は絶対にしません。
しかし、姑の宗教が健康になると言い方をするのが不快で、適度に距離を置いています。
姑が病気で苦しんでいた時に宗教のおかげで救われたというエピソードを夫から聞いており、姑にとって宗教は心から大事なもので、純粋に人に教えてあげたいという気持ちがあるのを知っています。
優しい思いやりの気持ちは受け取っていますが、宗教とは生き方全てに繋がるものですから、簡単に触れて欲しくない部分でもあります。
たしかに宗教は健康と繋がる部分は多いですが、特定の宗教でなくとも同じことはできます。
私は病弱なおかげもあって、知人から新興宗教の勧誘を受けたりしています。
家のポストに入っている勧誘のチラシは相手にしませんが、知り合いとなれば、多少は話は聞いてあげます。
しかし、宗教に入るまで宗教の話が続くのだろうと思い、その宗教に興味がないので距離を置きました。
知人に一生施設から出られない重篤な障害を持つ方がいます。
知人によると面会に来る人の中には、宗教の勧誘が目的の人も多いそうです。
私が仕事のことで初めてお会いした最初の日、知人から宗教の話をされました。宗教の勧誘をするなら近づくな…という意味です。
宗教の勧誘をする人は、病気などの困難を抱えた人のところへ好んでやってきます。
あと、健康食品を売っている人もよく来ます。
本当に相手を思って行動されている方と、単に信者を増やしたい、金儲けをしたい、という方では天と地ほど違いがあります。
宗教も健康食品も、元気で幸せな人には無くても良いものです。
それよりも、何かに悩み苦しんでいる人の方が確実にニーズがあります。
人の弱みに付け込む人も多くいるのです。
私の経験上、困っている人の役に立ちたいと純粋に思って勧誘されている方は多いように感じています。
良い人に多く出会いました。
思いやりのある方は、正直で自己中心的な勧誘は絶対にしません。
相手の状況や考え方をよく観察して、相手のために勧めるか勧めないかを考えています。
興味がないならハッキリと断り、それですんなり受け入れてくれるのが普通です。
断った後は宗教や商品の話はしません。それは営業のテクニックでもありますが、相手の気持ちがわかる人の行動です。
相手の状況を見て、相手のためにしつこく勧誘する人はいるでしょう。
有難迷惑ですが、しつこかったおかげで救われた人もいました。
相手を思ってしつこいのか、自己中心的でしつこいのかはその人の言葉や行動を観察することで見抜くことができます。
自己中心的な宗教と何度も出会ってしまうと、私の知人のように宗教を強く警戒し、新興宗教に入っている人全てを嫌うようになってしまいます。
私は夫の宗教関係者は良い人ばかりなので好きです。
私にとって、宗教の違いは極々普通のことで、特別なことではありません。
夫に限らず宗教が違う友達は何人もいます。新興宗教、キリスト教やイスラム教もいます。
宗教の違いは相手を嫌う理由にはなりません。絶対に。
無宗教のように生きる私にも、私なりのバイブルがあります。
姑のように宗教そのものによって救われたのか、私のように勉強し続けたことで救われたのか、何を心の底から信じるのかは過去に何に救われたかの違いに思います。
価値観の違いを認め合うことは、多様な社会にはとても重要です。
友達に重大な事故で死にかけた人がいます。20年くらい前かな。
友達は同じ病室のクリスチャンからペンダントをもらい、自分が生きられるように何ヶ月も祈り続けたそうです。
ちなみに、ペダントをくれたクリスチャンは元々無宗教でしたが入院後に熱心なキリスト教徒になったそうです。残念ながら病室で亡くなったそうです。
友達は仏教ですが、今でもキリスト教関係の物をとても大切にしています。
宗教は誰にとってもデリケートな問題です。
自分の意思で何を信じるか、どう生きるか考えていきたいです。