死にたい人達
私の個人的な体験と、個人的な考え方のユルイ話です。サラッと読み流してくださいね(^^)
自殺に関する問題は、この素人ブログではなく専門家のご意見を尊重してください。
人によってはハードな話かもしれませんので、体調の良い時にお読みになってください。
今の私について
私は20代前半〜20代後半まで自殺を繰り返してきた人です。(約5年間かな)
方法についてはブログには一切書きません。
今は30代後半ですが、ある時を境に、自殺衝動に打ち勝てるようになりました。
しかし、今でも死にたい気持ちは出てきます。
持病が苦で、生きることが辛い時があるのです。
そんなに困難な病気でもないのですが、自由に動けないことが耐え難い苦痛に感じる時があります。
以前は自由気ままに生きてたせいでしょう。
しかし、どうにかこうにか、自分なりの楽しみを見つけて、自分なりの仕事を作って、生きる希望も持っています。
精神的に自立してきたからこそ、どんな時も前向きな思考を持てると感じています。
何故私が自殺を繰り返したのか
人生で初めてやらかしたのは、20代前半の頃。
場所は居候していた友人宅です。
当時はうつ病と診断されていました。(今はうつ病はありません。当時もうつ病ではなかった可能性が高いです。)
やらかす前日、友人達と自殺について話をしたことを覚えています。
当時の私は他人の感情を、自分の感情だと感じてしまっていたので、自殺の話も引き金の1つになりました。
主観が強く、自意識過剰で、客観的に物事を見る力が欠如していたようにも感じます。
更に、パーソナリティ障害の結果、「見捨てられ不安」がとんでもなく酷かったことも大きな引き金になっています。
これらの問題が合わさって、友人が仕事に行った後にやらかしてしまいました。なんて迷惑な居候なんだ。
(ちなみに居候させてもらっていた友人とは今も普通に連絡を取り合っています。)
私が病院で意識を取り戻したのは、やらかしてから数日後です。
友人が救急車を呼んでくれて、運ばれたらしいです。
今となれば本当に申し訳ない話です。とんでもない経験をさせてしまった。
当時は死に値するくらい悲惨な精神状態でした。
その後も何度か似たようなことを繰り返しました。
私が繰り返した一番の原因は「見捨てられ不安」なのですが(他にも原因はある)、この見捨てられ不安が、死んだ方がマシなくらいの強烈な苦痛を伴うことは、当事者以外は知らないことだと思います。
見捨てられ不安のメカニズムについては今回は省略します。
本人は大変な苦痛を味わっていますが、周りの人からしたら凄く迷惑で、精神的なダメージを受けるし、余計見捨てたくなることでしょう。
私は本気で死んでしまおうと思っているのか、いないのか、いつも生きていました。
ただし、本気じゃない場合でも死んでしまう場合がありますので、周りにそういう人がいたら気をつけてあげてください。
しかし、構ってあげると巻き込まれたりするので、難しい問題です…。自殺すると脅されたりするし。(私も巻き込まれかけた経験有)
この辺の話はまた今度。
最後にやらかしたのは、前の夫と結婚生活を送っていた時です。
夫は、私の見捨てられ不安などにも振り回されず、パーソナリティの歪みを理解し、心から大切にしてくれていたと思います。
しかし、今度は夫の愛情に耐えられなくなり、やらかしました。
些細なことで、自分が生きていると夫が不幸になると本気で思ってしまったのです。自意識過剰も甚だしい。
その時は遺書も残しました。
大変な騒ぎになってたらしいです。
車椅子に乗って退院したことをうっすら覚えているくらいで、当時のことはよくわかりません。
退院後、軟禁されていましたが、再度自殺を試みるために抜け出し、失踪しました。
今思えば精神病院に入院するレベルだと思います。
その数ヶ月後、夫の人生と、自分自身の命を守るために私から一方的に離婚しました。
それ以降、自殺を計画したことはあるものの、実行したことは一度もありません。
姉妹に子どもが生まれたことが一番のキッカケでした。
母になった姉妹と、生まれてきた命を見て、天地がひっくり返るほどの衝撃でした。
離婚後は長い間恋愛もせず(できなくなった)、誰にも頼らず、自分の精神的自立のために戦ってきました。
二度と経験したくないような戦いの日々でした。幼い子供のような精神状態で、大人の社会の中を生き抜いてきた感覚です。
滅茶苦茶な生き方でしたが、幸い、私を正してくれる人達と何人も出会えました。
おかげで別人のように成長し、再び結婚できるようにもなりました。
前の夫との再婚も考えましたが、前の夫の親族にも迷惑をかけすぎたこともあり、悩んだ末に諦めました。今でも前の夫を大切に思っていますし、前の夫がいたから立ち直れたと感じて感謝の気持ちしかありません。
ちなみに、今は見捨てられ不安もほぼありません。
健全な寂しがりです。
5年間、夫婦円満です。
数々の自殺未遂の結果、後遺症があるようにも感じています。脳がおかしいと感じることが以前から多々あるのです。
命を粗末にしたバツだと思い、何が起こっても受け流すように心がけています。
私のケースについて
問題をほぼ克服した今、客観的に自分のケースを考えてみると、今の日本にありがちなことではないかとも思えます。
機能不全家族の中で育ち、親も本人も気付かないまま問題が深刻化してしまう。
少し医学や心理学を勉強した今の私から見たら、子供の頃に明らかに問題があったのに、周りの大人が見落としていたように思います。
通常は見抜けないのかな。私はとてもいい子でしたし。
確か、30歳を過ぎた頃「もっと早く誰かが私の問題に気付いていたらこうはならなかっただろう」…みたいな話を専門家からされました。
当時、数々の問題を乗り越えたばかりの頃で、「私の問題ってそんな簡単な話だったのか!」と、ショックを覚えたのを記憶しています。笑
肉体的な視点でこの問題を考えると、私の場合は肉体的な弱さや軽い異常も問題を深刻化させていたと思います。
子どもの頃から精神的にも肉体的にもダメージを受け続けていました。
もし、肉体だけでも健康であれば、深刻化しなかったかもしれません。
様々な要因が複雑に絡まりあってしまったようです。
改善のために精神科にも通いましたが、私の場合は、何の解決もしませんでした。
内科に通って改善しています。
精神科によっては、肉体的な治療が行われず脳ばかりに注目して人によっては全く改善しないこともあります。
病院選びで間違うと廃人になりかねません。(健康だった家族が廃人になってしまった知人がいる。今はそんな無茶な投薬はしないかな。)
精神病にしか見えない他の病気もあります。これがまだ知られていない。他の病気だった場合、治療法が違うので精神状態は悪化するでしょう。私のように。
肉体面についての話は、また別の機会に。
死にたい人達
私の周りにも自殺を遂げてしまった人が何人かいます。
残された人は皆「どうしてあの時…」と、後悔の気持ちを抱えて生きています。
不謹慎だと思いますが、「その人にとって「死」しか幸せになる(苦難から逃れる)道が無いのなら、死は選択肢として有りなのだろうか?」と、考えたことがあります。
「もし、死がその人の心の底からの希望なら、その選択は残された人達も歓迎すべきだろうか?」と。
最近、興味本位で安楽死や自殺幇助を行なっている海外の話を読みました。
深刻な病気で、本当にどう考えてもどうにもならないケースの場合、何がその人の幸せなのでしょうか。
少なくとも私の場合は、生きていくための苦難を乗り越えてきて良かったと思っています。
しかし、もし、過去の私が自分の内面の問題を解決する手段を見つけられていなかったら、死んだ方がマシと思えるような人生をずっと送っていたのかもしれません。
私の友人の中に「死にたくなる時がある」と、話してくれた人がいます。
「死にたい」が口ぐせの人もいます。
その人にとって死という言葉がどれほどの重みなのか違いがあると思います。
単なる口ぐせの場合、酷く辛いという気持ちの表現の場合、本当に死を強く意識している場合、意味合いは様々です。
気を引きたいだけだ、心配させたい、という言葉も耳にしますが、それほど精神が危機的状況にあるとも言えます。
本人が自覚している、いないに関わらず、苦しんでいるのは間違いありません。どう対処すれば良いのかは専門家に確認していただきたいです。
私が最後にやらかしたのは東日本大地震の前でした。
やらかした後、大震災が起こり、生きたいのに死んでしまった人が大勢いました。
その時も私は死にたいほど辛い状況(恐らく病気の症状)にいたのですが、死にたいという言葉があまりにも不謹慎に思えました。
だから、死にたいくらい辛く、助けを求めたいのに、表現できないのです。
「死にたい」という言葉は重要なSOSでもあります。
「死ぬなんて言ってはいけない!」「生きたくても死んでしまった人がいるのに!」と思っていたら大間違いです。それはただの正論であり、人の感情は正論では片付けられません。
正論は知っているが、それでも言葉に出てくるほど辛い状況の場合が多いでしょう。
もし、友人が「死」を言葉にしたら、どんな意味であれ、どんな言い方であれ、見守るようにしています。
死とは究極です。
何か危機的状況がその人の中に起こっている可能性があります。
死に直結するか、しないか、は関係ありません。
本人の自覚がある無しに関わらず、ほっておいてはいけない問題である場合が多いです。
自力で解決してしまう人もいれば、解決できないのに誰にも相談せずに抱え込む人もいます。
話しても何の解決もしない場合もありますが、話すことで自力で解決する力が湧いてくる場合もあるのです。
自分が思っている以上に優しい人が多いと今は感じています。
思っている以上に、誰かの役に立ちたいと思っている人は多いです。
友達の母親のケース
友達の母親が自殺してしまった時、友達が電話をくれました。何て言われたのかは覚えているのですが、私からどんな言葉をかけたのか、全く覚えていません。
それから10年以上経っていますが、会う度に友達の母親の話をします。
友達の母親は何度も自殺未遂を繰り返し、精神的に不安定で、経済的にも困窮し、複雑な家庭環境にいました。福祉の助けも借りていましたが、家庭の状況が深刻で、全然足りないようでした。
話を聞けば聞くほど、人間性は私と似たところもあり、他人には思えませんでした。
親子で言い争いになった翌日にいってしまったそうです。友達が母親のことが大好きなことはよく知っていました。
どうすれば、友達の母親を救えたのか?
自殺未遂を繰り返し、今生きている私にとって、人生の大きなテーマの1つでもあります。
病気、家庭環境、経済状況、福祉では解決できない問題、…そういったものを抱えた人は少なからず存在しています。
私も似たような環境で生きて、深刻な問題を抱えた人を見てきました。壮絶な世界です。
私が書いている別のブログは、このブログと全く違う楽しい(?)内容ですが、書く目的は同じで、「死にたいほどキツイ状況の人をどうすれば救えるのか?」「どうすれば私のようになってしまう前に、気付いてもらうことができるのか?」その答えを自分なりに探るためでもあります。
私が立ち直り、精神的に自立していけたのは、出会いに恵まれたからだと思っています。奇跡的だと思っています。
解決の糸口は1人では見つけられないのです。
死にたい人を死なせたくない
「死にたい」と言葉にできることは大切に思います。
死にたいくらいの感情、状況を受け止めてもらえることは大事です。
敬遠する人が多いですが、カウンセリングが効果的な場合もあります。
カウンセラーとの相性を見るために、初回無料や格安で行なっているところがほとんどです。
しかし、私はカウンセリングが苦手なので、笑、カウンセリングをやってみたものの効果が無い場合はサクッとやめて大丈夫!
その代わり私の場合はセラピーが効果的でした。セラピーも様々な種類があります。(何か描いたり、作ったり、体を動かしたり…)
各市町村も、自殺防止のための活動を行なっています。
私の住んでいる地域も、積極的に活動しているようです。
そういったところでは無料相談もできます。
インターネット接続があれば、市町村のホームページなどもご確認ください。
役所内にポスターが貼ってある場合もあります。
今にも自殺を実行してしまいそうな場所は、早急に病院です。精神科の予約はすぐにできない場合が多いので、今すぐにでも電話です。
ホルモンなどの異常は薬で改善できる場合が多いです。
私は専門家ではなくただの経験者ですので、経験から来る意見しか書けません。実際のところは専門家にお尋ねください。
必ず助けになってくれる人が存在するので、そういう人と出会うまで、どんなに嫌な人と出会っても、今まで理解されたことがなくても、決して諦めないでほしいです。
人助けが好きな人は、自分自身が助けられた経験のある方もいますし、そういった方は本当に親身になってくれます。
私も健康なら、もっと社会のために活動したいと願う一人です。