まゆみの日記

本当の私の記録

機能不全家族で育った人達

最近は最初の話は何にしようかな。

私の生い立ちからかな?

私の個人的な体験と、個人的な考え方の話です。

こんな奴もいるんだなー…くらいの軽いノリで読んで頂ければ幸い!

 

私の極普通の家庭

 

私は極々普通の中流家庭で育ちました。

両親と姉妹の4人家族、ペットもいて、父がマイホームを購入し、休日はスーパーや公園に出かけ、どこから見ても普通の家族です。

 

私は普通の家庭、むしろ、理想的な家庭で育ったと思い大人になりました。

両親のことを誇りに思い、両親の言いつけを守り、親は神様のように感じていました。

 

私は子どもの頃からお嬢様だと思われてきました。

外見の影響と、おとなしく、いつも人の言いなりで自己主張せず、いわゆる「いい子」だからです。実際はお嬢様でもなんでもありません。

 

成績も良く、真面目で模範的な子だったと自分でも思います。

しかし、小学生の頃に全く声が出なくなってしまったり、おかしなことは早くから起こっていました。

子どもの頃は、自分の痛みや感情がどういうものか理解できません。何か他の子と違う…くらいにしか感じ取れていませんでした。

 

何人かの小学校、中学校の先生が私がおかしいと気付いて気にかけてくれました。親にカウンセリングをすすめてくれたり、個人的に話をしてくれたりしました。

しかし、親が私は全く問題ないと思い込んでいた(もしくは認めたくなかった)ので、解決するチャンスはありませんでした。

 

いい子の筈が、大人になるに連れて心身共に壊れはじめ、家を飛び出し、性風俗の道へ進み、自殺未遂を繰り返し、離婚し、滅茶苦茶になっていくのです。

 

いい子とは、親にとって都合のいい子という意味なのです。

自分自身を押し殺して生きていることに子どもは気付けません。



私も20歳を超えても自分がおかしいことに気付きませんでした。

 

しかし、精神科で私のパーソナリティ障害を指摘されたことや「私の父親が普通じゃない」ということを前の夫に指摘されたことにより、20代中頃に「何か変だ」と気付きはじめました。

 

また自分が、親から明らかな虐待を受けて育った友人達と、非常によく似た行動パターンを持っていることにも疑問を持ちました。

 

自分が変だと自覚してから 

20代後半の頃のある日、自分がおかしいと気付き、そこから自分自身について追求しはじめました。

  

私が自分自身の謎を解明するのに長い時間がかかり、ほぼ理解したのは30歳を超えてからです。

 

 

20代前半に馬鹿をやったことがきっかけで経営に興味を持っていたので、たまたま成功哲学を学ぶようになってから、私は変わりはじめました。

 

成功哲学とは経営に限らず、健康や人間関係、人生そのものにも活かせる哲学です。その中に自分自身の歪みを正していくヒントがありました。

幸い、私は子どもの頃に親にほめられたい一心で勉強に励んでいたので(でも、ほめられたことがない)、勉強をすることが当たり前で、それも自分自身の謎を解明するのに役立ちました。

 

更に、自分自身のために心理学、カウンセリング、セラピーなどを勉強した時に点と点が繋がりはじめました。

 

そして、ある日、父から、父と母の人生の話を聞いた時に全てを理解できました。



不器用な両親

以下は父から聞いた話と、私が両親に対して感じていることです。
 

まず、母は酷いネグレクトを受けて育ったようです。両親(私からしたら祖父母)のことを強く恨んでいます。母は不安が強く、物事を正確に見ることが苦手です。普通の人が当たり前にできることができません。また、自分のルールとは違う行動、結果を過度に恐れているように見えます。

いい子でなければ私のことを見てくれず、母から無視されている感覚を常に抱えていました。

 

父は躁うつで、私が小学生くらいの頃に自殺を考えるほど悩み苦しんでいました。神経質で感受性が強く、昔から引きこもりと言える状況でした。いわゆる発達障害の特徴も強く持っています。人間関係もうまく築けません。

父は私には理解不能なことで怒るので、父に甘えたくても甘えられませんでした。

 

私は父とそっくりですし、母の不器用さも受け継いでいます。

 

両親なりに一生懸命愛情を注いで育ててくれたことは間違いないのですが、私は不安と恐怖の中で愛情不足の状態で育ったようです。

子どもはそれに気付けず、社会性が必要な年頃になるに連れて、壊れていきます。
特に私は発達障害のような特徴を持っていますので、それも状況の悪化に拍車をかけたのだと思います。

同じ環境で育った姉妹も引きこもり傾向があり神経質ですが、私のようになることも無く、普通に社会の中で生きています。

 

私はどんな人間だったのか  

昔の自分を思い出すと、無自覚が一番恐ろしいと感じます。

私は虐待を受けたと自覚がある人と似た行動パターンを持っていて、病弱で、体の弱さゆえに精神ももろく、愛情に飢えやすく、満たされない感覚や常に不安を抱いてしまいます。

依存もしやすく、自力で精神の安定を保つことができなかったのですが、最近はだいぶ改善して…いるけど依存傾向があり、意識的に気をつけています。

 

持病も家庭環境が少なからず影響しているようです。

心身の弱さは極度の緊張状態で育った影響もあるのではないか、というのが主治医の見解です。栄養失調にもなりやすく、栄養管理はかなり気を使っています。

 

以前は自己顕示欲も強く、承認されるために頭をフル回転していました。派手好きで目立ちたがりで、相手をコントロールしようとしてしまいます。

社会の常識や倫理観は平気で無視です。
どちらかというと、そういう感覚が分からない、という感じでしょうか。

 

いい子の自分は本当の自分ではないので、本来の自分は幼いままに成長しなかったように感じます。

 

父に甘えられなかった影響もあるのか、男性依存(恋愛依存)の傾向も根強いようで、夫と出会ってから全く浮気をしていないのが奇跡です。

 

 

こういった問題は劇的に改善されましたが、完全に克服することは無いでしょう。

ですので、自分自身のメンテナンスは常に行っていますし、夫ともよく話し合っています。


機能不全家族で育った人達

 

類は友を呼ぶのか、私は機能不全家族で育った友人が多かったです。

 

辛い状況で育った数人の友達と今も仲良しです。

 

若い頃はやんちゃで、法を犯した経験があっても、今はとても真面目で思いやりのある人達です。

 

そして、皆、生きづらさを抱えながら一生懸命生きています。

自分の弱さと向き合い、成長し、自分なりの幸せを見つけていっているようです。

 

 

親は選べないし、子どもの頃は親がいなければ死んでしまいます。

親から食事を与えてもらえなくなれば生きていけません。親に無視されたり、存在否定を受け続けることは、子どもの精神にとって危機的状況です。

 

私が最初に家出をしたのは小学生の頃ですが、親に心配されたい、私の存在に気付いてもらいたいという気持ちと、死んでもいいくらいの寂しさがあったように思います。


いつだったか、20代半ばの頃、病状の悪化で実家に強制的に帰らされた時、看病してくれる母を見て、両親の住む実家で自殺したい衝動に強くかられ実行しました。

当時の病気の症状(もしくは当時服用していた薬の副作用)とも言えるのですが、長年、両親に対して吐き出せなかった感情が、歪んだ恐ろしい形になっていたのかもしれません。


自分が死ねば全て解決する、自分が死ねば親は幸せになる、と。

私が生まれてきたことで両親を不幸にしてしまった、私は失敗作だ、と本気で思っていました。

今となれば笑いながら話せますが、当時は悲惨でした。だから、どんな理由であれ「死にたい」と口にする人をほっておくことができません。


今は自分自身のことが好きで誇らしいですが、昔は自分のことが大嫌いでした。
自分の弱さも、容姿も、病弱なところさえ好きです。

 

 

両親のことも今は大好きです。

人生の試練を与えられ、恨んだ時期もありましたが、全てを許し感謝しています。

一緒に暮らすのはとても辛く、遠く離れた場所で結婚しました。今となっては実家になかなか帰れないことが寂しいです。

帰省は楽しみの1つです。

 

 

自分の弱さを知り、両親の弱さを知り、今は自分自身も他人も許せる余裕もあります。

 

 

どんな家庭で育つかは、その後の人生に大きな影響を及ぼします。私のように精神的に自立できない状態であれば、その影響はかなり大きいです。

 

しかし、大人になれば自分の人生を自分で選択することができます。どんな状況も変えることができます。

私が身をもって体験し、運命を切り開いた人達を何人も見てるので間違いないです。

 

 

テレビで事件のニュースを見ていると、私もほんの少し歯車が違えば事件を起こしていたかもしれない、と、思うことがあります。

ほんの少し歯車が違えば、今、生きてなかったかもしれません。

 

 

今もまだ弱い自分自身と向き合い続けている日々です。